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2025年3月25日
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2025年3月21日
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2025年3月21日
INTRODUCTION​

流れる雲よについて

『流れる雲よ』は全国各地で25年の公演実績のミュージカル舞台です。 原作は、脚本家の草部文子によるラジオドラマ『飛行機雲』(1999年FM鹿児島制作)。第38回ギャラクシー賞奨励賞受賞作品で、その後もTBSラジオ、FMヨコハマをは じめ、地方各局でもリメイク版が作られています。舞台作品としては、2000年の初演から全国各地で公演され、のべ観客数は10万人を超えています。
この作品を再演続けている【演劇集団アトリエッジ】は、作者の奈美木が主宰の東京の小劇団ですが、全国で舞台実行委員会が立ち上がり、現在北海道から沖縄まで全国公演を行 い、年間に1万人以上の幅広い観客層から人気を集めています。昨年の東京本公演は日本橋三越劇場。連日満員の大成功でした。
また海外遠征チーム《サムライジング》による「流れる雲よ」英語版「Over The Silver-lining」は、2019年にはニューヨーク・ケネディーセンターにおいて、スタンディングオベーションで大絶賛され、2023年のドバイAKIRUシアターでの公演も王族の方々から高い評価を受け大きな成功を収めました。
この作品は懐古主義でも、声高に戦争反対を訴えるものでもありません。大切なものを守 るために命をかけた若者達の鮮やかな「生」の物語で、日本人としてのヒューマニズムを描いた作品です。戦後79年が過ぎました。先進国での自殺大国一位という不名誉な称号…戦争で命を落とした先人達は、今の日本の姿を望んでいたでしょうか?現在の私たちは、今をどう生きるべきか、もう一度考えるべき時に来ていると思います。

『流れる雲よ』は、過去からの愛のメッセージを未来へ繋ぐ為に、国内にとどまらず世界に向けて公演を続けて参ります。
100年後、日本を代表する作品の一つとなれるようにバトンを渡してまいります。

STORY

あらすじ

大東亜戦争の末期
昭和二十年の夏、鹿児島の特攻基地

ある日ラジオから
軍事ニュースに混ざり奇妙な放送が流れてくる
8月15日に日本が敗戦したと伝えられる
日本が負けるなら特攻隊員たちは
一体何のために、いま死を選ぶのか?

過去と未来、死にゆく者と残された者
「平和な未来」を願い海に散った若者達の物語

大東亜戦争の末期
昭和二十年の夏、鹿児島の特攻基地

ある日ラジオから
軍事ニュースに混ざり奇妙な放送が流れてくる
8月15日に日本が敗戦したと伝えられる
日本が負けるなら特攻隊員たちは
一体何のために、いま死を選ぶのか?

過去と未来、死にゆく者と残された者
「平和な未来」を願い海に散った若者達の物語

RELATIONSHIP CHART​

相関図

CAST

役者

坂本光太郎 役
中原正人 役
STAFF

スタッフ

Fumiko Kusabe

草部文子 脚本

1957年東京生まれ。国立大学(静岡大学)教育学部教授の父/草部典一と純文学作家の母/草部和子(近代文学賞/放送文学賞/文化庁脚本賞受賞作家)の長女として生まれる。大学時代より青年俳優座で演劇を学び、同時に糸居五郎の門下生としてDJ-BEBEの名で全国AM局で活躍。1983年(株)サンディを設立。NHK銀河TV小説『新宿物語』(1985年)/漫画「3DBOYS」(1996年)のモデルとなる。また会社経営をする傍ら、1997年より数多くのドラマの制作/脚本を手掛け、その作風は純文学作家の母親の影響を強く受け、完成度の高い作品として放送業界で認められ、各賞(ギャラクシー賞/民放連賞)を受賞している。

Torao Tanaka

田中寅雄 演出

1957年東京生まれ。国立大学(静岡大学)教育学部教授の父/草部典一と純文学作家の母/草部和子(近代文学賞/放送文学賞/文化庁脚本賞受賞作家)の長女として生まれる。大学時代より青年俳優座で演劇を学び、同時に糸居五郎の門下生としてDJ-BEBEの名で全国AM局で活躍。1983年(株)サンディを設立。NHK銀河TV小説『新宿物語』(1985年)/漫画「3DBOYS」(1996年)のモデルとなる。また会社経営をする傍ら、1997年より数多くのドラマの制作/脚本を手掛け、その作風は純文学作家の母親の影響を強く受け、完成度の高い作品として放送業界で認められ、各賞(ギャラクシー賞/民放連賞)を受賞している。

MESSAGE

作者の思い

脚本
草部文子

私は、戦後10年程の時期に生まれ、高度経済成長の中で、自国の良さに目を抜ける事も無く、欧米の音楽エンターテーメントに興じ、イケイケの青春を謳歌して生きてきました。眠る事さえ忘れてしまう程、よく働き、よく遊び、とにかく人生をハチャメチャに生きてきました。思えば、なんと厚顔無恥な自分であった事でしょう。そんな中、1999年、私に大きな転機が訪れました。それは、鹿児島の知覧に遊びに行った時、偶然訪れた特攻平和祈念会館で、英霊の方々から無言のメッセージを受け取った時でした。沢山の笑顔の遺影と、美しい文字の遺書の数々。それを目にした時、堰を切った様に、止めどなく流れる涙の中で、私は映画<マトリックス>の主人公の様に、長い長い眠りから覚醒しました。
「肩で風切って、偉そうにマスコミ面をし、私は、何をやってきたのだろう…」
自分の愚かさと、弱さに愕然とし、地中深く潜ってしまいたい程の恥ずかしさに苛まれたのでした。そして考えました。「盲になっている若い人にこの真実を伝えなければ…」と我が罪滅ぼしもあって書いたのが「流れる雲よ=飛行機雲」でした。
当初ラジオドラマとして書き下ろした脚本の監修をお願いしたのが、東正知さん(当時FM鹿児島の放送部長)でしたが、それはただの巡り合わせではありませんでした。なんと東さんのお兄様と、私の叔父が、同じ戦艦羽黒の艦橋(ブリッジ)の中で、同日に戦死していた事が判ったのです!。一緒に写っている二人の写真を見た時、私は言葉を失いました。どれだけの確率で、こんな偶然が起こるのでしょうか?私は、その時、天からの勅命を感じる事が出来ました。
又、私の高曾祖父は、東京奠都の際、明治天皇の江戸行幸に従い東京に来た神祇官で、神田明神の初代宮司です。明治維新の動乱期、岩倉具視や、木戸孝允達と、神道の国教化(国家神道)を推し進めた人間の一人でした。今、明治天皇の玄孫でいらっしゃる竹田恒泰先生に、この作品を応援して頂いている事も決して偶然とは思えず、日々『御陰様』を感じ、すべての出来事に背筋が伸びる思いであります。
今年25年目になる「流れる雲よ」と言う作品は、そこに込められた命の輝きと、魂の叫びによって、命を宿し、独自の意志を持った作品に育っています。
作品そのものが、大志を抱き、関わる人をも選び始めている気がします。やがて、生みの親である私の事も振り切って、祖国の為に進んでゆくのかも知れません。それは寂しい事ですが、この作品が、大和民族の血を蘇らせ、誇り高き日本人の魂を呼び覚ます一つの鍵になれるのなら、作者として、こんなに幸せな事は有りません。それこそエンターテーメントを仕事に選び、生きてきた甲斐があるというもの。でも、出来れば私自身も命ある限り、この作品と共に生き、百年・二百年先の日本の為にも役立つ作品になる様、更なる磨きをかけ輝かす役割を担いたいと、若いスタッフ達と、決意を新たにしております。